ゼンマイとネジ
姉は今日も上機嫌だ。バスルームから自分勝手ででたらめな鼻歌が聞こえてくる。
僕はキッチンで2人分のサラダを作る。ベジタリアンの姉のために僕は一日4度サラダを作る。朝昼夕方と夜中。
ベジタリアンと言っても別に宗教上の制約があるとか、アレルギー体質だとかじゃなくて、姉が肉を食べたがらないからだ。魚も白身の魚を少し食べる程度。肉が嫌いというわけでもない。ほんの2年前までは姉も僕も一般中流家庭程度の頻度で肉を食べていた。特別多くも少なくもない、おそらく平均的な消費量だったろうと思う。姉が肉を食べなくなったのは、僕と2人でこのアパートで暮らし初めてからだ。
好きな食べ物を断って願をかけるという風習があるけれど、そういうわけでもないらしい。姉は特別肉が好きだったわけではないから。あれば食べるという程度。
以前一度理由を聞いてみたけれど、曖昧な事を言ってはぐらかされてしまった。
「ごめんなさい、ネジ。私、肉が食べたくないのよ」
ここに来てすぐ、夕食のテーブルでそんなつぶやきを聞いて以来、僕は食卓に肉を出さなくなった。僕自身もずっと肉を食べていない。特に食べたいとも思わないから。
空豆とキャベツとにんじんの細切をマヨネーズであえて胡麻をかけただけのサラダを食卓にのせる。2人で買ってきたゴムの木をくり抜いたサラダボールに山盛りの今夜のサラダ。今夜はパーティがあるから少し多めに作っておいた。パーティでは食べ物が出ないから自分達で持ち込むか、空腹を我慢するしかない。だから毎週水曜の夜中のサラダは他の曜日より多めに作る。
「ネジ、サラダはできた?」
バスルームから姉の声がする。弾むような高い声。
「もうできてるよ」
カチャリ、と扉が開いてバスタオルを巻き付けただけの姉が上がってくる。髪をタオルでまとめてターバンのように頭の上に巻き付けている姉の姿は、やっぱり僕にそっくりだった。
僕と姉のゼンマイは双児の姉弟だ。昔からそっくりだと言われてきた。小さい時はよく間違えられた。それが嫌だと思ったことは一度もない。だから今でも僕達はいつも同じ服を着て出かける。そして、わざと同じような言葉を話して、同じような仕種をする。歩く時は手をつないで、電車やバスではいつもとなりで、一緒に同じものを見て、同じものを食べて、同じものを買う。僕達は2人でワンセットだから。
でも、ずっと2人だけで行動しているわけじゃない。2人が別々になったときは、やっぱり2人は別々に歩き、別々の物を食べて、別々のものを買う。それでも僕達は双児だし、仲がいい。お互いがお互いのことを愛していることを知っているから。
「おいしそうね。私、にんじん大好き」
「僕も、にんじん大好き」
「豆は?」
「ゼンマイと同じ」
「じゃあ、まあまあ好き?」
「うん。まあまあ好き」
ゼンマイはくすくすと楽しそうに笑う。綺麗なピンク色の肌。真っ白なバスタオルで隠されているゼンマイの身体。そこだけが僕と姉の違うところ。それが何だかとても淋しい。
「今日はパーティね。何を着ていこうかな」
「僕はゼンマイと同じ物を着るよ」
「あら、私もネジと同じものを着るわよ」
サラダボールの中のにんじんをひと切れつまみゼンマイは幸せそうに食べた。
「おいしい?」
僕はいつもどきどきしながら最初の一口を口にしたゼンマイにそう問いかける。ゼンマイがなんて返事をするのか知っているくせに、いつもどきどきする。もしも、僕が味見をして感じたことと違う答えをゼンマイがしたらどうしよう。そんなことありえないってわかっているくせに、何故かどきどき、おどおどしてゼンマイの口もとを見つめてしまう。
「おいしい」
それだけ言って、ゼンマイはくっきりとした唇で笑顔を作る。
「先に今夜の服を選んでしまいましょうか?このままだと私、風邪引いちゃいそうだわ」
「そうだね。今夜の服を選んで、先に着てからサラダをゆっくり食べるのもいいね」
ゼンマイはにっこり笑って寝室に消えた。いつも服はゼンマイが用意してくれる。僕は料理の担当。姉は洗濯の担当。掃除は1週間毎の交代制。生活もやっぱり2人でワンセット。僕は洗濯やアイロンがけが苦手だし、姉は料理が苦手だから。
「今夜はクロが参加するみたい」
寝室の中からゼンマイが話し掛ける。
「クロが?じゃあ、隣のロリータがおしゃれしてくるね」
「レースやフリルのひらひらじゃロリータに適うわけがないから、私達はシンプルにしましょうか。ネジはどの服がいい?」
僕はそっと目を閉じて、目の前に浮かんでくる服を待つ。こうして目を閉じていると、ゼンマイが着たいと思っている服が目の前に浮かんでくるから。
いろんな服が頭の中を駆け巡る。そして、いろんな光景も。
この前のパーティ、先週の日曜2人で出かけたデパート、その前のパーティ……
僕達はずっと2人一緒でお揃いの服を着ている。スカートの時もあるし、ズボンの時もある。僕達はそっくりだから鏡を見なくても自分たちがどれだけその服が似合っているのかよくわかる。僕がゼンマイがかわいいと思う分、ゼンマイも僕がかわいいと思うんだろう。
「まぁ!機械仕掛けのお人形みたい。双児なの?」
このアパートに引っ越してきた時、隣の部屋に住むロリータがそう言って僕達の頭を撫でた。このアパートでは本名を名乗らないって聞いて、僕たちはとっさに思った。姉はゼンマイ仕掛けの人形で、僕はネジ仕掛けの人形だって。
2年前の冬、引っ越してきた日に来ていたのは白地に黒と緑のチェックのAラインワンピースと、その下にエンジのズボン。
「あの時の、チェックのワンピースとズボンは?」
くすくすと、ゼンマイの笑い声だけが聞こえてくる。
「私も、同じものを考えてた。あれにしましょうか」
もう二度と離ればなれにならないために家を出ようって決めた日に、2人で街に買いに行った服。2人で将来のことを誓いながら歩いて、その誓いがすべて終わった時、目の前にあったお店のウインドウに飾られていた服。
あの時の悲しみと不安が再び心の中に満ちてゆく。
しばらく部屋の中でごそごそと音を立てていたゼンマイはあの時の服に着替えて出てきた。
「ネジも着替えてきなさいよ。私は先に食べてるわね」
そう言ってテーブルについたゼンマイの瞳には涙が浮かんでいた。
僕は立ち上がって、ゼンマイを後ろから椅子の背ごと抱き締める。
「これからもずっと、一緒だからね。ゼンマイを知らない男のところになんか、お嫁に行かせたりしないからね」
2年前のある冬の日曜日、父は言った。ゼンマイと何処かのお金持ちの息子の縁談がまとまりそうだって。だから、たとえ双児の姉弟とはいえ、今までみたいにべたべた2人でくっついてるんじゃないって。
僕達は双児だから、一生2人で一緒に過ごせるんだと思っていた。離ればなれになるなんて、考えられない。たとえ数日離れていても、一晩同じベッドで眠れば安心できる。でもゼンマイが結婚して僕のそばから離れてしまったら、もう二度と心が休まることはないだろう。生まれた時からずっと一緒だった僕達が引き離されてしまうのは、心と身体を引き裂かれてしまうような辛いことだから。
母は何も言わなかった。父に抵抗したことのない従順な妻だったから。それとも僕達の将来には関心がなかったのか。いや、そんなことはない。あの時、2人で家を出ることを母は知っていたはずだ。それを止めずに、ただあの困ったような笑顔を浮かべて黙って見守っていてくれた。
もうあの家に帰ることはないだろう。もう帰らないと誓って出た家だから。今は2人で十分幸せだし、毎日がたのしい。誰の目も気にせずに2人でいられる。
僕とゼンマイは2人でワンセットなんだ。離ればなれになったら壊れてしまう。僕達は精密機械の人形だから。
「ごめんなさい。ちょっと思い出しちゃったのよ。寂しいんじゃないわ。今はずっとネジが一緒にいてくれるから。あの時、本当に引き裂かれてしまうのかと思って、一晩中泣いたけど……もう絶対、ネジからはなれないからね」
涙の奥から現れたゼンマイの笑顔に嘘の色は混じっていない。
僕も同じ色の笑顔を浮かべて、そっとゼンマイの涙を指で拭う。
「うん。僕達は、もう離ればなれになんかならないんだよ」
ゼンマイの笑顔に安心して僕は寝室に向かう。その途中ふと思い出した。ゼンマイを僕から奪おうとしたその金持ちの息子が肉屋だったことを。
<FIN>
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